わたしがはじめてやったゲームはなんだろう、と思い返してみると、おそらくワープロの中に入っていたモンタージュ。正確に言えば、これはゲームではないかもしれませんが……楽しんでやっていた覚えがあります。

据え置きゲーム機だと、スーパーファミコンのインベーダーゲームでしょうか。兄と勝負をして全く勝てなかったのが思い出深いです。

あとはドンキーコング。
これは兄がやっているのを後ろからずっと見ていました。(ドンキーは難しくってわたしにはできなかったんですよねー。わたしの横スクロール系に対する難しいというイメージはドンキーから始まっていると言ってもいい)ディクシーが大好きだったなー。

その後、スーパーファミコン自体がいつの間にか壊れてしまって、ああ、もうこれはできないんだなーと寂しく思いつつお別れをしました。もうできないのか、悲しいことだ。そんなことを考えていたような気がします。一つ大好きなソフトがあったんだけどなんだったかなあ。

しかし、今になってみると案外今生の別れというわけではなかったことに気付く。
現在、WiiやWiiUなどのゲーム機で昔のゲームがプレイできる「バーチャルコンソール」というサービスが展開されています。
Wiiは現在生産終了となっていますので、これからこのサービスを受けるとすればWiiUや3DSといったゲーム機ということになるでしょう。

新しくプレイを開始した『MOTHER2 ギーグの逆襲』も、もともとはスーパーファミコンのゲーム。



これはWiiUのバーチャルコンソールでのみ取り扱いされています。
スーパーファミコンでは1994年発売だから今からちょうど20年前!(といっても意外と最近であることに驚く。ゲーム技術の進歩の激しさを思い知りますね)

この「MOTHER」シリーズは、1・2・3と展開されています。今のところバーチャルコンソールで遊べるのは2のみ。
MOTHERと名を冠するほどですから、何か関係あるのかなと思ったらあまり関係ない模様。
その傾向はこの2に顕著であるようで、1には「MOTHER」というワードは重要な意味を持っているとか。わたしはプレイしていないので、2のギーグの逆襲のみをプレイした感想のみを紹介したいと思っています。



「MOTHER」シリーズはコピーライターの糸井重里さんがゲームデザインを手がけていることで有名です。
プレイしてみると、確かに糸井さんという存在がゲーム全体を覆っている。それは口調であったり、物語の背景であったり。
糸井さんのまっすぐさというものをとても気持ちよく受け取れる、そんなゲームであると感じました。
そして、20年前のゲームであるにも関わらず、現在プレイしてみても驚かされるところが多い。

この驚いた点というを3つ紹介していこうかなと思います。





1、エスカレーターのグラフィック

MOTHERの世界にはいくつかデパートがあります。
 現実世界ではイオンモールとかそういった感じでしょうか。そういう大型商業施設を思い返して見ると、エスカレーターで移動するかと思います。
このエスカレーターを忠実に再現している。階段が、そのまま動くんですよ。この再現はかなり衝撃的でした。こういうのって本当は簡略化されるものじゃないかな。ただの階段だったり、エレベーターのみで再現されたり。
 このエスカレーターのグラフィックというのが、またすごく長い。階段だったらそんなにマップも長くならないと思うんですが、とても長い。
 それでもこのエスカレーターに乗るという感覚を2Dの世界で再現しているということがとても感動的に思えました。

2、「斜め」の道

2Dというグラフィックの性質上、マップは碁盤の目状に広がったほうがプレイヤーとしてはやりやすいです。特に、昔のコントローラーには十字キーしかついていませんでしたから、上下左右という動きをすることが自然です。ポケモンのマップも基本的には上下左右という動きであったと思います。
 しかし、このMOTHERシリーズはとても「斜め」の動きが多い。最初はWiiUのスティックでばかり操作していました。でも、これは上下左右のキーを同時押しすることによって斜めの動きができるようになっていたんですね。
 おそらく、他のゲームであってもこのような動きをすることは可能であったのだとは思うのですが、しかしMOTHERは圧倒的に「斜め」の動きを強いられることが多い。これは非常に驚きでした。

 この斜めの動きが何を生み出すのかというと、それは「奥行き」。
3Dの導入によって奥行きの再現は容易になりましたが、このMOTHERはそのような技術をゲームの中に取り入れていなかった時代。当時としてはかなり革新的なグラフィックだったのではないでしょうか。

ある街ではほぼ全て斜めの動きを強いられます。
その街の建物群は俯瞰視点から、二点透視もしくは三点透視法の手法を用いて描かれます。
ポケモンで主に使われているのは一点透視法。これなら道は上下左右で表現できるんですね。
しかし、二点透視等の手法を使うとなると、道はその線にそって斜めにならざるを得ません。
このような「絵」を描くうえでの手法をプレイヤーの動きにも取り入れることによって、奥行きがない世界に奥行きをうんでいる。
すばらしい発想です。
斜めにすることで、実際にプレイヤーが動く距離というのは確実に伸びているし、操作性としては難しいものになっていると思います。それでもそこを犠牲にしても、ここを表現するというゲームの方向性は好感がもてるかな、と思いました。

3、最初にプレイヤーが設定する「語句」

このゲーム、他のゲームに対して最初に設定する語句がすごく多いです。

え、まだきめなくちゃいけないの??みたいな、戸惑いを最初に持たされる。
でも、これを決めさせた理由っていうのはプレイしていると痛いほど感じてくる。

この点に関しては特にプレイをしてから読んでほしいので、これからプレイをするという方はやってから再度訪れていただければと思います。それくらい、この最初に語句を自分で設定するということに対する意味は深いじゃなかろうかと思っています。
きっとやらないだろうなって人はもちろん見てくれていいです。あくまで、自己責任でお願いします。


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それではワンクッション。
かわりに同じバーチャルコンソールでプレイしてみた星のカービイの画像を。






















かわいいよねえ。
この時のカービイはパラソルを手にしてふわふわ飛んでました。カービイはわたしが苦手な横スクロール系の中で代表作としても知られているけど、これはすごく簡単で超下手くそなわたしでもできる。ゲームが苦手な女の子はカービイをプレイするとゲームの楽しさとキャラクターに対する愛おしさっていうのを学ぶことができると思います。カービイはいい意味でも悪い意味でもかわいらしいから、この可愛いさの裏にある残酷さ(だって、敵でもなんでも食べちゃって、そして吐き出して敵を倒していくんだもんね)にあとあとになって気づいて、ぞっとしつつ、やっぱりカワイイって楽しんでくれるといいな。


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さて、MOTHERの話に戻りましょう。
最初に設定するように支持されるのは以下のようなもの。

①主人公のなまえ
②仲間たちのなまえ
③犬のなまえ
④すきな食べ物のなまえ
⑤尊敬する人のなまえ

①、②の項目はわりと一般的だから、そんなにびっくりすることはないんですが(といっても仲間の名前を3人設定しなくてはならないので十分戸惑いますが)、③~⑤というのはなんじゃそりゃ!という感じのもの。
でも、それぞれすごく意味深いものであると思います。

まず、犬の名前。
これは最初に仲間になってくれる主人公の飼い犬の名前なんだけど、結局は主人公の旅には同行しないで家に留まることになる頑固な犬として描かれる。
この犬って主人公が頑張ってるのに助けてくれないなんて卑怯!って映るもんだと思うけど、プレイしているとそんなことがない。
それは、犬がそこに留まるということが自分の生き方だと強く訴えかけるから。なんだか、おまえかっこいいなってなるんです。
物語としては旅に出る、そしてモンスターたちを倒していきます。でも、世の中には、どんな大義があったとしてもそういうことしたくないって考える人もいるよね。きっとこの犬はそんな人達の考えを代表して言ってくれてるんだと思う。
みんな主人公頑張れって言ってるところ、俺は行かないぞって頑固な奴が提示される。これはすっごく重要なことで、生き方の多様性を端的にあらわしていると思う。


そして、好きな食べ物の名前。
これはわたしはもちろん「どりあ」と設定しているわけです。
この好きな食べ物が物語上でどのように使われるかと言うと、主人公のお母さんが回復をしてくれるときに使われるんです。
「つかれたでしょ、◎◎でもたべてゆっくりやすみなさい」→回復
という流れになるわけです。

これって物語の流れの中では明らかに「好きな食べ物」をいわゆる「おふくろの味」とつなげて展開しているんですよね。
物語上、「MOTHER2 ギークの逆襲」にはMOTHERという語句が表面化して関わってくることはないのですがやっぱり根底にはその言葉が生きている。
確かにわたしがドリア好きなのって、母の料理の中でも最もごちそうとして感じていたものだからなんです。最近気づきましたが――。
わたしにとってのおふくろの味って、どりあの中にあったんだと思う。
もちろん、このおふくろの味を持たない人も多いと思うけど、それはもっとMOTHERという言葉を拡大解釈していけばいいと思います。
よく母なるものとして大地や海といった自然が表現されます。食べ物は間違いなく自然から生まれてくるものですから、そういう大いなる存在の中に生きる人間としての自分自身を感じることができます。
MOTHER2において、MOTHERという言葉は明確な意味を持ちません。だからこそ、多様な意味を見出すことができます。このMOTHERシリーズ第二作においては表面化しないからこそ、根源として「MOTHER」を感じさせる仕掛けが施されている。
すばらしい構成であると思います。

最後に尊敬する人の名前。
わたしは某金髪のジャーナリストの方が大好きなので、その方の名前をつけました。
すると物語のなかでは!なんと!技名に使われるのです。
それもけっこう強い攻撃技の名前です。最初から使えてどんどんパワーアップしていきます。
つまり、尊敬する人の名前を冠した技をずっと使い続けるというバトル構成になっているんですね。
なんだか、これも尊敬する人という生きるうえでとても重要な生き方の指針を持ち続けるというメッセージの一つであると感じました。
わたしたちは生きる上で、いろんなものと戦い続けています。
そんなときに頼りになるのってなんだかんだで「ひと」なので、そんな心の支えとなるものを持ち続けることが強さになるのかなと、そんなことを考えさせられました。
なんにせよ、尊敬する人とは自身にとって大いなる存在です。それはやはり「MOTHER」という言葉につながっていくのかなと思います。


長くなりましたが、集約すればこのゲームの根底にあるのは大いなる存在とそれに対する尊敬、愛情。そういうものなのかなと思います。

そして、「犬」にはじまるような多様性の提示。
個人的にすごく胸にささったのが「むこうみずなナメクジ」という敵。
めっちゃよわいんだけど、何匹も群がって挑んでくるんです。すぐ倒せちゃうんだけど。
うっわこいつら本当にむこうみずだわあ…という感情移入がなめくじに生まれてしまって、現実世界でもなめくじがこっち向かってくるという状況ってあると思います。
でも、このむこうみずという名を冠した敵を経験することで、少しそいつらに対して優しくなれるような気がします。
 MOTHERのいいところのひとつは現実世界とのそんな不思議な交錯のしかたじゃないでしょうか。

20年前というとちょうどバブルがはじけたくらいでしょうか。
80年代あたりだと子どものあれが特に問題視された時代です。そして、90年代はその荒れをひきづりつつ、そして経済的にも打撃を受けた時代。親も子どもも疲弊した、その後の時代。
そういう時代だったからこそ、こういうゲームが出たことはすごく意味があったことだと思う。

そして、こういう子どもの問題は水面下でまだまだ引きずられています。
いま、現在、この時代の中で「MOTHER」をプレイすることはとても意味があることになるような気がする。
学校では伝えきれない、そして家庭でも伝えきれない、そんな世界がこのMOTHERの世界には広がっている。
それはひとえに糸井重里という人の人間性を覗くことでもある。そして、それを世に出すために努力した人たちの努力をみることでもある。(このゲーム発売にあたっての現任天堂社長の岩田聡さんの尽力を合わせてみると、よりこのゲームに対する愛着は深まっていくと思う。というかわたしが岩田社長をすきすぎるだけかな笑)

これからバーチャルコンソールでMOTHERが全作できるようになるといいな。