とあるところで友人が「熱する」という語に打ち消しの「ない」をつけた場合、「熱しない」が正しいのか「熱さない」が正しいのかという質問をしていたのだけれど、その話題に超絶乗り遅れました。
 非常に面白い疑問で何も言わないのも面白くないため、こちらで扱ってみます。

 「熱する」という語をより細かく分解していくと、「熱」+「する」の2語にわけることができると考えられます。

 この「する」という動詞は非常に万能な動詞でして、単語の後ろにこの「する」をつけるだけでその単語を動詞化することができるという優れた機能を持っています。最近だとこの用法の乱用が目立ちますよね。わたしはこの動詞化のプロセスが非常に好きなのでもっとやれと思っていますが。
例えば特徴的な例を取り上げると、東京国立博物館リニューアルオープンイメージポスターのキャッチコピーでしょうか。
 女優の貫地谷しほりさんがイメージキャラクターとなってトーハクでなんだか楽しそうにしているというポスターなんですが、ここで使われているキャッチコピーのなかでも特に面白いのが

・きょう、ブンカした。
・きょう、ライジンした。

の二つでしょうか。
通常、ブンカ(文化)とライジン(雷神)という単語は動詞にはなりえません。しかし、ここに「する」をつけることによって

①ブンカ・する
②ライジン・する

という独自の動詞を作り出すことができるのです。
それぞれの意味は恐らく①は文化活動をするぞ!とか文化活動享受したるぞ!みたいな意味で、②は雷神の格好してノリノリになったるぞ!みたいな意味だとは思いますが、新しい単語であるため意味は確立していないと考えた方がいいでしょう。このような用法が一般によく使われていけば立派な動詞の完成です。
でもこのなんとも不確立な感じが非常に手作り感があってよろしい。
ほっこりしますね。


 話が大いにそれましたが、つまりこの「熱する」という単語はもともとは「熱」を「する」によって動詞化され、それが一般に普及した形であると考えることができるということです。
(とは言っても文語動詞「熱す」が根としてありますから、成立として考えれば「熱」+「す」の形で動詞化され、その後現代になるにつれて変化したと言ったほうがより正確なのだと思いますが)
そのため、その活用は「する」という語に依存することがわかると思います。
つまり、「熱する」はサ行変格活用という特殊な活用の方法をとります。

 ここで今回の疑問です。
 「熱しない」か「熱さない」か。

 「熱する」がサ行変格活用であることはさきほど確認しましたので、この活用にあてはめてみましょう。(一応学校文法にあてはめています)

「熱しない」と「熱さない」はつまり

動詞「熱する」+打ち消しの助動詞「ない」

という二つの要素が合わさっているものです。
「ない」は動詞の未然形に接続する助動詞のため、し・せ・さのどれかに接続することまではわかります。しかし、ここまでわかっても「熱しない」なのか「熱さない」なのかはわかりません。





このし・せ・さの使い分けですが、

・し-ない、し-よう
・せ-ぬ
・さ-せる、さ-れる(受け身)

とつかいわけるようです。
「ない」の辞書的説明を見てみると①動詞の未然形につき②サ変動詞の場合「し」につき「しない」の形をとるとあります。

そのため、学校文法のルールから考えると「熱しない」が一番妥当であると考えられます。


 しかし、なぜ「熱さない」という用法との混乱が発生しているのでしょうか?これは非常におもしろい問題です。
 そもそも、なぜ口語文法の未然形はし・せ・さと活用が入り乱れているのか。
 「ない」に接続する際に「し-ない」となるのは諸説あるようですが、わたしは上一段活用に引っ張られているという説を信じたい。
 サ行変格活用動詞とは非常に不規則な活用です。
 つまり、文法の中では「特殊」な例なのです。
 それがある時期に上一段活用に淘汰されたのではなでしょうか。
 そしてさ-せる、さ-れるはもともと「せ・られる」「せ・させる」が変化したものです。 これはサ変動詞が四段活用にひっぱられたものだと思われます。

 つまり、このサ変の活用の未然形には上一段活用・サ変・五段活用的用法が入り交じっているのです。

 ここからわかるのは、サ変動詞自体が変容しているということ。

 便宜上、現行学校文法では上に記したような分類をしています。
 そのため「熱しない」が一応正しいという結論には至りました。
 でも、確かに「熱さない」って言う人も多いですよね。私自身も話し言葉としてはそちらを使っているような気がします。(意識して使っていないのでちょっとわかりかねるのですが^^;)
 実際にこのように「熱しない」と「熱さない」の二つの用法が出てきているのはつまり上一段活用的用法も五段活用的用法に引っ張られつつあることのあらわれであるように思います。
 
 今、ら抜き言葉が話題になったりと言葉の問題に関しては色々な論争があります。
 しかし言葉は変遷するものであり、現在間違えであっても未来ではそれが正しくなっているかもしれません。今回の疑問はその言葉の変遷のひとつの過渡期を観察できたようで非常におもしろかったです。
 一応自分の中では納得できたので非常に満足。

 でも、学問的内容ですので記事の内容で誤りがあるようでしたらご指摘くださいね。
 わたしも勉強になりますので是非に。