5月が近づくと、毎年思い出す人がいます。

 わたしは小学校1年から高校3年まで剣道をやってました。今はやめちゃったけどね。
 その、思い出す人っていうのは小学校の高学年から中学3年くらいまで親交があった、女の先輩のことです。おんなじ学校だったことは一度もなくて、実際そんなに関わりあいはなかったのかも。

 彼女はすごく剣道が強くて、あと気も強かった。わたしがいた中学のことがすごく嫌いだったみたいで、最初はけっこう嫌なことをされたような気がする。
(やっぱり個人個人でぶつかり合うスポーツなので、いやがらせ的な意味合いでわざと痛くしてみたり、転ばせたりとかそんなことがある世界だった。当時は)

 でも、なんでか最後はすごく微妙な距離感で仲がいいような、よくないような。
 大会のたびにわたしの頭を小突きにきて笑ってたりとか、わざわざこちらにきて全然知らないところに連れていかれたりとか。なんか文面にするといじめられてるような感じだけど、そうではなかったと思う。小突かれたといっても、気やすいかんじで、知らないところもわりと楽しかった覚えがある。

 とにかく気が強くて、嫌いな人は嫌いではっきりしている人だったから、彼女のことをよく思わない人もいたにはいた。けど、わたしは彼女のことがすごく好きで、大会で会えるのがちょっと楽しみだった。そんなすごく仲がいいわけではなかったんだけどね。ちょっとした憧れがあったのかもしれない。

 彼女は中学を卒業したあとは剣道をやめてしまったので、彼女と会う機会は必然的になくなりました。
 それでわたしも高校生になって、それで、剣道部に入りました。
 もう会わなくなっていたから彼女のことはだんだん過去の人になっていました。なんてったってすごく微妙な関係だったから、そこまで親しく思うのもなんだかなあというのが高校生ながらあったんですよねえ。

 まあ、なんで5月になると彼女のことを思い出すかっていうと、まあ…、彼女が5月の連休に亡くなったからです。交通事故でした。
 
 そのことを同じく親しくしていた他校の先輩(5月に思い出す彼女とは違う人)から連絡をもらった時のことは今でも忘れられません。信じられなかったし、信じたくなかったし。
 わたしはすっごく悲しかったんだけど、もうここでもわたしは彼女とそこまで深い関係ではなかったからって変な遠慮をして、そこまで悲しむのもおかしいのかなとか思ったりしたんですよね。今考えたらそんなこと関係ないよなあとも思うけど、当時はそのそこまで深い関係でなかったということが大きなことのように思えていたのかな。今思い返すと。

 だから、特にお通夜に行くというような発想を持てなかったんだけど、彼女の訃報をしらせてくれた先輩がわたしをお通夜に行こうと誘って、連れていってくれたんです。それで、わたしは彼女と直接お別れができたので、連れていってくれた先輩には本当に感謝しかないですよね。

 そのお通夜での見たもの聞いたことは今ではもうおぼろげではあるんだけど、それでもずっとわたしの中にとどまり続けています。ずっと忘れないでいると思う。

 そんな深い関わりでもなかったしね、なんでこんなに忘れられないんだろうと思うんですが、そんな深い関係でなくっても、思い出すと誇張ではなくて涙がにじんでくるので、それだけ自分の中で憧れが強かったんだろうなと思う。たしかに、すごく慕っていたようなおぼえがある。もう、なんとなくしか覚えていないんですがね。

 こういうことを書くのもどうかな、とは思ったんだけど。でも、5月が近づくと、というか5月っていう言葉、文字を見ると彼女のことがよぎるので(だから正確には一年に何回も彼女のことを考えている)、よっぽどだよなと思うので、今年はこの気持ちについて書き残しておこうかと思ったわけです。
 
 5月は浮足立つ季節です。人の動きも激しいしね、そして気分が沈むときでもある。
 予期せぬ別れというのは、本人にとっても、周囲にとってもとても悲しいやりきれないことなので、どうか皆さん気をつけてください。