自分でも音楽を作り始めたからか、今までそんなに興味のなかった音楽をききたいっていう欲求が高まっています。
音を重ねあわせるだけで、その人の世界観が構築されるなんておもしろいよねえ。
わたしのつくったものもなんだかんだで、おんなじようなテイストのもの。適当にこんな感じなら気持ちいいかもーという感覚だけで、作曲のいろはもなんにもしらないんですが、なぜかそうなる不思議。
音楽っていう営みには何かあるなということを最近よく考えます。


昨日、B'zのヒットの理由みたいな番組の録画を見ました。
20週年のときのやつだったから、おそらく5年ほど前のものです。
そこで、稲葉さんと松本さんが曲をつくるまでの過程っていうのが詳しく特集されていました。
わたし知らなかったんだけど、B'zって曲を松本さん、歌詞を稲葉さんが書いていたんだね。

よく、音楽性の違いで解散っていうのを目にします。
またかよーと思って、ネタみたいに思っていましたけど、これって実際に曲を作ってみるとわかりますね。音には人間性がまっすぐ表れてしまうのかなと思います、本当に不思議だけれど。
音楽性があわないっていうのは、それはかなり重大な問題で、つまり人間性をお互いに分かり合えないってことにつながっているんですよね。
感覚的な問題になっちゃいますけど、自分でいざ作って、そんで他の人たちの音楽をきいてみると「あれ?これはなんかちがうかな?」というのが肌でわかる。
きっとこれも一つの音楽性の違いなのかなあと思います。

この自分ではコントロールが非常に難しい音楽性。
それをすり合わせながら音楽を作っていっている人たちの代表格が、「バンド」と呼ばれる人たちだと思います。
この音楽性というのはそれぞれ違うものですから、それが一致することはありえないわけですが、そんな中で「バンド」をはじめとする音楽制作集団は、一つの楽曲を作り上げていきます。
そのことが不思議で不思議で仕方がない。
わたしの曲をつくるのであれば、わたし自身の感性(音楽性)によってのみ、制作をおこなった方がそれは一貫性があって、単純化されています。そこをあえて、それぞれ違う音楽性を持った人たちが集って、楽曲を作る。本当に不思議なことだと思います。

こういう不思議なことをうまく、そして長期的にやってのけているB'zというグループは、なにやらものすごいものがあるな、というのがわたしの感想。
ドキュメントのなかで、松本さんが「僕はギターをひくから曲を書く。彼(稲葉さん)は、歌をうたうから歌詞を書く。それはいたって自然なことだとおもう」というようなことをおっしゃっていた。
この発言をきいて、わたしはまさに青天の霹靂。その通りだな!!!とうなずいてしまいました。
きっとこういう感覚があるから、お互いの音楽性を尊重しあえるんじゃないかと勝手に推測をしてみたり。

音楽を複数人で協力して作っていくということは非常に難しい。
だからこそ、B'zが成し遂げてきたことは偉業として称えられていってほしいものです。

でもさ、水をさすようだけど、そもそもどうしてこんな大変なことすんのさ、と問いかける自分もいる。
さっきも書きましたが、自分ひとりで作るほうが、音楽性のかちあいがなくてシンプルなんじゃないの??という疑問。

考えてみると、ここ最近になってやっと「一人で楽曲を作る」というようなことができるようになったということに気づきます。
録音技術の向上。
音声加工技術の発展。
電子音声技術の発展。
こんなようなことが絡み合って、やっと一人で楽曲制作をするということが可能になった現在があります。

ひと昔前は、音楽とは楽器を使って、そしてそこに歌をのせたり。リズムを刻んで、そこに声を音としてのせたり。
弾き語りという形態はありますが、楽器+声というような組み合わせがあったとしてもそれ以上は困難であったと思います。
ハーモニーを奏でる。
リズムを重層化する。
といったことは「ひとり」でやるには限界のあることだったと言えるでしょう。

現在、音楽制作の現場ではDAWと呼ばれる音声ミックスソフトが広く使われています。
これはラインがいくつもあって、そこに音を落とし込んでいき、カーソルが動いていくとラインに落とし込まれた音が同時に鳴ります。
例えばこんな感じ右上あたり、黄緑の帯状のところが音階やリズムが落とし込まれている箇所になります。




これはMacのLogicというDAWソフトのスクリーンショットです。知人に頼んで取ってもらいました。知人ありがとう。

この方の場合は、音を直接打ち込んで音を鳴らすように作っているので、長方形が無数に並んでいます。これひとつひとつが音をあらわしています。
直接録音したものも、このタイムラインの中に落としこむこともできます。録音した音声の場合、このような明確な音の形であらわされるわけではなくて、波形で表示されます。

どちらにしても、このような音声を合わせるソフトがあれば
①音自体をPC上で打ち込んで楽曲をつくる
②実際に自分の演奏したものを演奏してそれをPC上であわせる
というようなことを、一人で行うことは一応可能なのです。

PCがまだ開発されていない、録音という技術のみがあった時代において上記とおなじようなことをするとなれば、それぞれの音を録音→それぞれの音を鳴らすスピーカーのような機械を用意→一斉にならす、というようなことであれば可能です。(この方法をするのであれば、それぞれのスピーカーを操作する人が必要になったりするので、やっぱり一人では困難かな)

DAWソフトに関連して、上掲の画像にギターとか、キーボードの画像があるのがわかるかと思います。
打ち込みによって曲を作る場合、最初はこの四角のバーが音符のような役割をしています。音符よりはより視覚的で直感的に音を表しているものではありますが、音階を表す記号としては同じです。
このバー自体は「音階」を表すだけであって、そこに「音」データはありません。
一方、録音では音自体をとります。つまり、これは「音」のデータなんですね。だから、波形で表されます。

バーには音のデータがないので、そこに「音」を当てはめてあげる必要があります。そこで登場するのが「電子音声」です。さっき書いたやつですね。
便宜的に電子音声といいますが、ここで言うのはコンピュータ上で生成された音声という意味で電子音声と使っています。言ってみれば、「音」を作り出す技術ですね。
これによって、自分がギターを引けなくてもそれに近い音でギター曲を作ることができるようになりました。ドラムの打ち込みも、実際に録音しなくても近い音を鳴らすことはできる。ピアノや、他の楽器も同じように近い音を鳴らすことができるようになりました。
このような技術に、今はかなり手軽に触れることができるようになりました。

ギターがひけなくとも、もっていなくとも。
ドラムが叩けなくとも、もっていなくとも。
ピアノをひけなくとも、もっていなくとも。

このような音楽作成ソフトを持っていれば、音楽は「個人」の手の中で作るものができるものとなったのです。
これってよくよく考えてみるとすごいことだよねー。なんとなく作っていたんだけど。
そして、それを気軽に公開することができる環境まで整っている。すごいことだ。

そしてこの音楽の個人化という点においては、「VOCALOID」という技術は一つの到達点であったということができるかなと思います。
以前、友人が音楽史上「歌声」を自在にあやつることができる楽器はなかったという話をしていました。目からうろこでした。確かにそうなんだよね。
VOCALOIDの登場によって、「歌声」が楽器として電子音声の中に参戦を果たしたわけですが、これで晴れて、録音なしでコンピュータの中で一つの「歌声」の入った歌をつくることが可能になりました。
言い換えれば、外部デバイスからの取り込みなしで、コンピュータ上で楽曲の全てが生成が可能になったわけです。

まさに音楽個人化の時代。ものすごいことですね。




でも、実際作ってみると、まだまだ電子音声は「電子音声」の域を出ません。
録音した生の音声に比べれば躍動感、生命力の差が歴然です。
ギターの音に、ギターの音に似せた電子音声はかなわないのが現実です。

電子音声には電子音声にあった楽曲の活かし方があるし、生の音声にはそれにしかない良さがあります。
音楽が個人によって生み出すことが可能になった、ものすごい現在。
自身の音楽性のみをつきつめるなら、個人でつくることはできます。
個人のみで作った音楽にはそれ固有の美しさがある。

だけれど、音楽性をお互いにぶつけあう、集団音楽にもまた違った美しさを見つけ出すことができます。

現代までに大いなる進化を遂げた音楽、そこには解明されない神秘がねむっているのだろうなあ。


実は、わたしはあんまり音楽に興味がなかったんだけど、今は違います。
音楽ってすばらしいね。人間の神秘をそこに感じます。
今、わたしは音楽がすごく好きです。