『I'm sorry,  mama.』 / 桐野夏生




ある一人の悪にまみれた女のお話。
悪はどこから生まれるのか。そんなことを訴えかける作品。
非常に全体通して吐き気がする胸糞悪い話でしたが、おもしろかった。
おすすめはしないけどよい作品だと思います。
悪はどこから発生するんだろう。みんなみんないい人なんだけど、一瞬で悪に成り下がったりもする。
でも、わたしの周りの人はどんなに悪どくっても作中のアイ子みたいな行動にはでたりしない。
アイ子みたいな悪を前にしたら、わたしが経験した悪なんてみんな霞んでいってしまうんだろうな。


ところで、このお話。ハードカバー(ピンク色の表紙)と文庫(青緑色の靴の写真が載っている方)で表紙が違うのだけど、文庫版のカバーデザインが本当に素晴らしいなと読了後思います。

この文庫本の画像を見て、自分も作中の人物になったようで虚しい気持ちになった。
つい「I'm sorry, mama.」そんな気持ちになってしまいました。
なぜ、そうなるのかはぜひ読んでみて感じてみてください。

ハードカバー版の表紙もいいのですが、いまいち意味がつかめないのですよね。
どうして彼女は逃げているのか。どこに逃げるのか。

個人的には文庫版で読んでいただいて、是非虚脱感を味わっていただきたいです。


『11文字の殺人』 / 東野圭吾



ミステリ作家が殺人事件に挑む話。
この話を読んで一番思ったのは、バブル期の人間の感覚は少しおかしかったのだな、ということです。この本が出たのが1990年頃で、バブルの後半あたり……。
ミステリっていう特殊な創作形態のせいもあるかもしれないけど、ずいぶんハイグレードな人たちが無駄にハイグレードな舞台で物語を繰り広げるものだから面食らいました。
彼らはどうやら生きる世界が違う人たちのようです。

動機に哲学的命題をこめるっていうのが東野さんのミステリを読んだ印象なのですが、この作品に関してはかなり込み入っていて正直よくわからないものだった。
ネタバレになってしまうのかもしれないですが、ちょっと一般論から外れたところに犯人の関心があってわたしにはその論理が理解できなかった。そんなにこみいって、大混乱な中で、計画的に、人を殺していくのか、それが疑問でした。
消化不良でもやもやした作品。

『アルジャーノンに花束を』 / ダニエル・キイス



いわずとしれた有名なSF小説。体は大人でも中身は子ども。そんな32歳の青年・チャーリーが頭を“利口”にするため手術を受ける。手術前と手術後、チャーリイの手による経過報告で語られていきます。

昔、このお話が日本でもドラマ化されていました。チャーリイはハルと名を改めて、ユースケ・サンタマリアさんが演じていらっしゃいました。当時わたしはまだまだ幼くって、でもそのドラマには大きな衝撃を受けた覚えがあります。ユースケの演技がすごくうまかったんだよなー。いつまでも忘れられない作品です。
さて、このダニエル・キイス版の話に戻りますが、やっぱり素晴らしい作品ですねこれは。
現代、この話は誰にとってもヒトゴトでない事件を描いているとおもいます。
知能というものを当たり前に享受している人が大多数でありますが、その知能を手放す可能性というのは、高齢社会の今、非常に高い。
自分が長生きすればするほど、きっとそういう未来に怯えることになるんじゃないか。と今からでも怯えているわたしにはすごく恐ろしい作品でもありました。

全然関係ないですが、この作品を読んで思ったのは翻訳の困難性。知識形態が違う二つの言語の、しかもそれを「理解しきれていない人」の文体を翻訳するというのはとてもむずかしいことであると思います。
途中専攻のメジャーと少佐を表すメジャーの混同をしている箇所があるのですが、これはさすがに「メジャー」と音表記することで原作の趣を伝えていました。まさにこういうところ。非常に翻訳が困難だったとおもいます。
それでもこうやって日本語になって原作の趣を味わえることは非常に素晴らしいことですね。

しかし、こういうある知識形態の中でその知識形態をある水準まで理解しきれていない層というものを描く場合、それぞれの知識形態特有の勘違いだったり、発想が出てくる可能性がある。

だからこそ、このアルジャーノンに花束を、は「日本」の物語として書きなおされてもいいんじゃないかとという感想も抱くのです。
ある意味、それを行なってくれたのがドラマ版「このアルジャーノンに花束を」ではないか。
ドラマ版は、名前等を全て日本に置き換えた設定にして物語を展開しています。
この「日本に置き換える」という行為は、現代翻訳の世界では忌避されるものでもあると思いますが、「アルジャーノンに花束を」という物語にとっては非常に有効なものでありえたと思う。
だって、世界中、どの国の、どの年代にもチャーリイは存在しているから。人類にとっての普遍的命題を考察したすばらしい作品であると思いました。
ときどきこの作品を思い出し、心の中で、チャーリイとアルジャーノンに花をたむけよう。そうおもいます。